これは、私が写真・映像の仕事において、常に大切にしているテーマです。
いま、私たちの暮らしは「モノ」に満たされ、かつてほどの物質的欲求は薄れつつあります。
だからこそ、これからの時代に求められるのは、“まだ形になっていない価値”を見出し、可視化していく力ではないかと感じ、そのためには、多様な「目=視点=思考」を意識的に持ち、育てていく必要があります。
私は、専門外の分野にも敬意を払い、さまざまな立場や職能の方々の視点を自分の中に取り込みながら、写真や映像の表現に取り組んできました。
たとえば――
哲学者の目:「それは何のためにあるのか?」という本質的な問いを立てる
エンデの『モモ』の無垢な目:他者を変えようとせず、ただ耳を傾けることが本音を引き出す
映画監督の目:物語の流れを意識し、感情移入を誘う構成を描く
クリエイティブディレクターの目:課題や意図を視覚的に翻訳する
心理学者の目:受け手がどう感じ、どのように行動するかを想像する
経営者の目:時間・資本・環境のバランスを見極めながら、価値を持続的に広めていく視点
編集者の目:情報を取捨選択し、整理し、伝えるために再構築する
照明技師の目:物語や意図に沿った光を演出する
写真家の目:ある瞬間に潜む物語を、美しく切り取る
コミュニティデザイナーの目:人が心理的安全を感じる居場所を持続的につくる
建築家の目:空間に哲学を宿し、構想・調整でステークホルダーの未来をつくる場を結実させる
このように、多様な視点を自らの中に育てることで、表現の解像度は飛躍的に上がります。
写真や映像というメディアは、技術や感性だけでは捉えきれない「間」や「奥行き」を扱うものです。
だからこそ、関わる人たちとの対話を通じて、「なぜそれを撮るのか」「どのように存在していくのか」
という根源的な問いに立ち返ることが重要だと実感しています。
また、「自分がどう見るか」だけでなく、「受け手がどのように捉えるか」といった、振り子のような点を行き来する双方向の視点を持ち続けること。
これによって、作品はただのアウトプットではなく、共創的なプロセスとなり、社会との接続点を持ち始めます。
私は、そうした問いをクライアントや仲間と共有しながら、共に走り抜ける“伴走者”でありたいと考えています。そして、まだ世の中で価値が明確に定義されていない挑戦をしている人々に対しては、最大の理解者であり、必要とされる表現の伝道者でありたいと思っています。